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 0503刀剣乱舞―前田藤四郎


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【model: ちーたん】

責務の終焉は蝶ではない。
その矛は血の輪廻、その盾は時の揺り籠

▼追記に考察あり(※集めた情報を個人的な見解で考察しています)
銘 吉光
由来: 前田利家の次男・孫四郎利政が所持していたため。
その後利政から嫡子の直之に伝わり、彼から3代目藩主前田利常に献上される。

平野藤四郎が前田家に伝わる上で最初の主としたのは利家の長男、二代目藩主前田利長である。
それまで平野道雪→木村常陸介→豊臣秀吉→前田利長(2代目)→徳川秀忠→前田利常(3代目)
平野は2代目から前田にいるが、一時期徳川にいた。
利常から先はこの二振りは代々前田家に伝来し、平野は1882年、明治天皇へ献上される。
平野は粟田口吉光の代表作である。前田家でも金沢城内の宝蔵に平野を保管していたとある。

前田の言う「大きな武勲はありませんが、末永くお仕えします」とは、このように平野と比較すると
豊臣、徳川と言った名だたる家々を渡り歩いたり、古刀のように異名をつけられたりしたわけではないが前田家に10代以上寄り添い、現在も前田育徳会所蔵と言う、長きにわたって加賀にいる、と言うところにあると思う。
前田以外を知らない、加賀以外の匂いを纏わない、生粋の加賀前田である。
ちなみに加賀藩だった現石川県の県民性は「おおらかで平和主義」とある。

平野は「警護やお付きの仕事なら任せてください」と言う。前田は「ずっとお側におります」と言う。
この違いは「外」に出ているのかどうかで、例えば名のある大名の元へ赴くだとか、そういう仕事は平野だった…と言うことではないのかなと思う。(前田に来る前の話かもしれないが、少なくとも平野は前田よりも外に出ているし、主が変わった回数を見ればその「仕事」然とした物言いもわかる)
その点前田は警護と言うよりも、よりその家の人間に寄り添う形の言葉を発している。
「守ってご覧にいれます」「せめて魂魄なりともお側に」
これらは前田家にいながら、前田家の人間を、と言うようにもとれる。

前田は自分が大きな武勲もなく、また大名を点々とした経緯をもつブランドもない。(「加賀ブランド」としては一級品だと思うが)
が、そういう意味で自分のことを過大評価はしておらず、非常に弁えている。
自分が一番でないことも知っているし、太刀のように前線で切り込めるほど強くないことも知っている。
「鳥の声を聞いていました」
と言う台詞は、霊力の強さが故に蔵に止まる鳥さえも落とした大典太光世を考えると、鳥の声を聞けるほどには霊力が強くないということ。
生命をもつ者の近くにいても大丈夫なほどには。

一つの血の輪廻を長く見つめてきて、何度その小さな手が生まれて冷たくなるまでを眺めていたのだろうと言う思いから
その一人一人の死を止めるために守るのではなくて、その家や血の存続を止めないための砦として存在する意志を感じるな…と言う考えに至る。
恐らく前田と平野は前田家にこそ長く一緒に在ったが、その来歴や台詞から考え方が違う。
刀は刀に意志を託されたりはしない。が、時の営みと血の痕跡がその刀をそうさせる気がする。
極の前田藤四郎が言う、あのセリフのように。

平野藤四郎:http://urarod.blog42.fc2.com/blog-entry-289.html
(2015.7.25撮影)

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