beyond ur lens.

 

 1007刀剣乱舞ーへし切長谷部



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I WILL NEVER LEAVE YOU NOR FORSAKE YOU (Hebrews13:5)
あなたが愛したもののなかに、オレはいますか。

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【model: 樹乃】

英傑の右腕、カリスマの背中。
塗り替えられた躰に、王の灰は馴染まない。


▼追記に考察あり(※集めた情報を個人的な見解で考察しています)

・長谷部国重作
・織田信長の愛刀。1575年、黒田官兵衛へ下賜される。
・恩賞(中国攻めの献策により)として長谷部を拝領したとされている。
・官兵衛には"安宅切"と言う愛刀があり、その拵えを写してできたのが現在の長谷部の拵えであり、
織田の元へいた時は現在とは違う拵えであった。
・信長が没したのが1582年、高山右近らの勧めで官兵衛がキリシタンになったのが1585年。
調査が十分ではないため憶測であるが長谷部の本体は黒田拵え、長谷部の服装は織田拵え(安宅切の拵えを写される前の大太刀長谷部)であるとすると、長谷部のキリシタンを思わせる服装は織田時代のものと言うことに。
(信長はキリスト教は認めていたが本人がキリシタンであったわけではなく天下ビジネスの一環として仏教勢力を肥大させないために許していたとか)

本体は黒田拵え(磨り上げられどうにも変えようのない事実)、人の器は織田拵え。つまり事実はそうであっても本人の中では織田時代の未練が拭われていないと言うことに(そもそも実装台詞で前の主に関するほとんどが信長に対するものである)

慈悲深いと言われた官兵衛は家督を継いでから隠居までの間、一人の家臣も手討ちにしたり死罪を命じたりしていない。
また生涯で2人しか人を殺さなかっただとか。その2人を斬ったのが安宅切であったと言われている。
(小田原城を無血開城させるなど、智略説得による功績が多い)つまり黒田に移ってからの長谷部は斬る、と言う仕事を殆どしていないと思われる。

信長の事を"恨んでいる"ような台詞回しがいくつか見受けられるのも、長谷部が仕事人間に受け取れるように、三英傑とすら謳われ合理的で刀の本分を全うさせてくれる信長の元でこそ働きたいと思っていたからでは、と思う。
この人こそ自分の主に相応しいと思っていた人から命名され、烏合の一振りでなく"名付き"の一振りとして代わりの利かない存在になりたいと願っていた折に下賜。
正直代わりなど幾らでも利いただろうが、仕事ができる人間(刀)は上司に期待する。
自分とウマが合って出来る上司を支える時のやりがいはひとしおと言うところに、黒田に贈られ、黒田には既に安宅切と言う愛刀があった。(正直もう出番がない。加えて信長から贈られたと言うことで愛刀とそっくりの拵えにして黒田七つ蔵の一つとして大切にされた。)
2205年、実体を得たら拵えは黒田、身の器は織田拵えと言うちぐはぐ具合。喋れない刀が未練と言う着衣を背負って成った姿。
文献になりたかったわけではなく、ただこれと思った主の元でいい仕事をしたかった、そんな気も。
物は主を選べず、存在する限り人に翻弄され続ける。実体を得て言葉を話せるようになっても、その身の装飾が意志の表れ。

「君がいなくなったら困る」と言われるのがきっと、長谷部にとっては一番うれしい言葉なんじゃないかなあと、思った。
因みに冒頭の英文は聖書の一節である。イエスが人の罪を代わりに被りながらも、彼は人を決して見放さないと言った。
この一節は長谷部に捧げたい。
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