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 0901刀剣乱舞―加州清光、大和守安定


※画像クリックで高画質表示されます。


"あー。川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね。" ―刀剣乱舞 加州清光入手台詞より



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【model: MINAMI】


"僕を一番愛してくれる人は、誰だろう" ―刀剣乱舞 大和守安定ログイン台詞より

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【model: シュ】



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それが彼の、モノとして生きるための手段だった。
それが彼の、モノとして使われるための手段だった。


考察については追記に折りたたんでいます。
▼二人の考察について(※集めた情報を個人的な見解で考察しています)

【加州清光について】

・襟巻の着用→江戸時代には隠居した者がするものであり、若者の着用は病人に限られた(沖田を彷彿とさせる)
・黒と赤→鞘の色合いを表す
・愛されたい、捨てられたくない→非人小屋出身の影響
刀工は6代目清光と思われる。非人小屋に住んでいたため、非人(乞食)清光とも呼ばれる。
※非人:江戸時代の身分制度の底辺。このような被差別民のことを河原者と呼ばれることもある。
※6代目清光は非人小屋に入所していたが、この小屋の収容者は非人身分を対象者にしておらず、
当時金沢に滞留していた困窮農民または町民を指している。非人身分出身者であったわけではないそうだ。

・銘はない。ただ加州清光と彫られており、"ブランド名"のみが記載されているようなもの。複数存在する。
・清光は加賀藩主より腕を認められ、「清光」の名と前田家由来の「梅鉢」家紋の使用を許された
・扱いづらい刀であり、沖田ほどの剣士でなければ扱えず、また剣士たちの好みも考えると一度主を失えば次の主がすぐに見つかる訳ではない境遇であったと考えられるため、懐きやすい?(清光自身は非人小屋出身と言うことを気にしているようだからより焦るのかも)
→そうしないと使ってもらえないと思う物ゆえの執着心
・審神者を"主"と呼ぶ
・下緒は大名結び(見た目重視)

清光は見目を美しくして手に取ってもらう数を増やしていた?
→引き取られても捨てられないよう美観を尽くしている
本分、と言うよりも(名刀ではあるが)美術的価値で手元に置いてもらう手段を取っているとも考えられる
"きれい"でなくちゃ、偉大な銘を冠する刀剣には敵わず、扱いづらくて取り手も多くない。使ってもらえる土台にすら立てない。
目を惹く価値がなければ加州清光は刃すら使われないと思っているのだとしたら、
それが彼のモノとして生きるための手段である。と思った。
使われる目的のために加州清光の場合は努力しなくてはならなかった。半分は自信のなさに蓋をするため、半分はその性質のため。"ほらこんなにキレイだよ、可愛いでしょ、使ってくれるなら、主に尽くすよ"と。
本人が出自に自信がないため、銘を堂々と謳わないのはそのせいか。

【大和守安定について】

・襟巻の着用→江戸時代には隠居した者がするものであり、若者の着用は病人に限られた(沖田を彷彿とさせる)
・だんだら羽織→新撰組
・愛されたい→物凄い切れ味を誇る良業物(切れ味当代一と謳われた同名の刀工作)だが、扱いが難しく使い手を選ぶ。
名人でしか使いこなせないとも言われた。
沖田他、大石鍬次郎、伊庭八郎も愛用したが、いずれも安定の主人は短命だった。
・審神者を"主"と現在実装されている台詞では呼んでいない→沖田に対するのように主従よりもどちらかと言えば仲間意識の方が強い?
※くん呼びは幕末に吉田松陰が始めた(諸説あり)が、身分差を取り払いお互いを呼び合うもの=安定の沖田くん呼びは仲間意識の方が強い可能性も
・下緒は解かれている(実用重視)

安定はその切れ味をもって実用刀として使ってもらう=愛してもらうことに注いでいるようである。
目をかけられている内は頑張ろうか=使ってもらえるうちは本分を果たそう
ただし捨てられることに関しては清光ほど執着していないように思える。ただ自分をうまく、長く使ってくれる人を"自分が"探している節がある。
個人的には、この柄は自分ではない誰か(主)が握るためにあるのだと言っているようにも聞こえる。
沖田へ宛てた台詞が清光よりも数多く見受けられるのも、清光が研ぎに出されていた間病床に伏す沖田と寄り添っていたとすると「殺してやるよ子猫ちゃん」の台詞からも頷ける話で
複数ある大和守安定のうち一振りの彼が沖田が使用したものであるなら、恐らく安定が強烈なまでに沖田の記憶を有し、外見や台詞から沖田を思わせるものを伝えてくるのは当然のように思える。

そもそも審神者は眠っている物の思いを呼び起こすもので、(これを言うと本末転倒になってしまうかもしれないが)
顕現したら前の主に執着しているのは当然である。
しかも男士自らが剣を握るため、審神者が直接剣を振るうわけではない(遡るのは刀剣のみ)=前主との決定的な差
愛着は「物」ゆえ、帯刀され振るい使われる方に傾くのは物として当然では…?と思ったのち
刀達が前主の外見や性格を引き継いでいるものがいるのも然るべき末路では、、と思う。
ここは安定が考察の末よくよく当てはまっているのではと感じた。安定は探している。清光は待っている。
清光が研ぎに出されたあと、沖田がそのまま亡くなってしまったのだとしたら、沖田は清光を迎えに行けなかった事になる。
きれいになった清光が、ずっと沖田を待っていたとしたら(歩いていく足がないのだし)
探しに行く足も竦むだろうかと思った。
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