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 0621刀剣乱舞― 一期一振



1615年―慶長20年5月7日 大坂城落城 一期一振が焼身となる。


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【model: ちお】 ※画像クリックで高画質表示されます

装いは権力の表れ。 誰そ記憶が身体にだけ遺された吉光の最高傑作



この写真が生み出されたわけ▼ ※諸説あるものを色々考えていった結果の個人的な解釈に寄るものです。





写真1枚1枚の説明はナンセンスですので其々の解釈にお任せするとして。
あれだけ撮りたくてたまらなかった一期一振が蓋を開けてみればときめきとは???と言うような写真が出来上がってしまった。
と言うのも彼を撮るために1週間ほど彼の刃生と現在(刀剣男士)について考えて行きついたうち一つのサマリーである。
それでは聞いてください。「全体的に話が薄暗い」


・一期一振の考察にあたって気になったのが「豊臣時代の影響を濃く反映する外見」「秀吉を多く語る記憶しかし欠損あり」「再刃による影響」である。

・付喪神として"人のような"記憶(落城で記憶喪失がある点で)を蓄積する始まりがあるならば朝倉家の元にいたときからそれは始まっていたとして、ただ朝倉氏の元では「重宝」として扱われていたとのことから、観賞用であった。

・毛利輝元から秀吉へ献上された一期一振は、「一之箱」に秘蔵される。戦闘よりも智略を得意とした秀吉が一期を身の丈に合わせ磨り上げる。この時、刀身が短くなったことによって抜け落ちた記憶があるかもしれないと仮定する。磨り上げの時期は不明

・大坂の役により大坂城落城、焼身となる。焼身とは刃紋が失われ美術品としての価値が失われた状態。これを物としての機能を失いある意味身体的な「死」と取るなら(心身諸共でなくとも)、再刃された一期一振は刃紋を取り戻し嘗ての美しさを「復元」されたが、
作り変えられた己の身体は強度が著しく落ち、斬る事すらできない完全なる"美術品"になっていた。
この再刃された身が現在の刀剣男士としての一期一振の姿だとする。(中傷時:再刃されたせいか…と言う台詞から再刃された自分を知っている)
その後は徳川が孝明天皇に献上し御物となる。と言うことは再刃されてから勿論武器としての働きはしていないことになる。

・2205年、審神者により顕現された刀剣男士・一期一振は時代を遡り力を振るう「武器」となる。
「特」台詞にある「強くなるごとに、昔とは違う自分になる気がするな。……いえ、良いことなんだろうが」は、重宝・秘蔵時代を考えると実戦経験はさほど多くはなさそうに見える。ついでに再刃されたためもう武器として斬ることができない身でありながら、顕現された一期一振は武器としての機能を果たしている。その矛盾に戸惑う台詞であるように思えた。昔とは違う自分=鑑賞用時代とは違う今
ただ疑問に残るのは本丸負傷時台詞「お気になさらずに……慣れていますから」は戦場経験を匂わせる。
可能性があるとすれば秀吉に磨り上げられた後振るわれたことがあるかどうか。
智略が得意そうな台詞が伺い知れるのも、秀吉の影響と考えると不自然ではなさそう。実際刀集め(鍛刀)を素直に喜んでいなさそうな台詞や本丸台詞・勿論見てくれさえも秀吉の影響を多く見られる。が、刀帳で「その頃の思い出は、大坂城と一緒に焼け落ちました」と言っているため、記憶の損傷が激しいことはたしか。

・つまり物であるのだから再び使われることが嬉しくないわけではないだろうと思う。ただ一度焼けて死んだはずだった自分が、顕現されてみれば再刃された時のまま、斬れる力が与えられているではないか。(手入れ中傷以上の台詞「大丈夫。癒える傷です」は、焼身された身は二度と(機能的な意味で)癒えないことを知っているから?)
"キレイに"再刃され火傷の痕すら残らない身体であるとするなら、記憶が落城によって多くを失われた状態で姿形が「秀吉の愛した一期一振」のまま復元された彼は、現状の自分を"一期一振"だと受け入れるのに時間がかかったかもしれない。寧ろ疑ってすらいるかもしれない。
焼身で記憶が一度途絶えるとすると、再刃により記憶の続きが蓄積され、顕現によって現状(御物)の自分との差に悩む思考が特台詞で察せられるような。しかも本丸では鍛刀やドロップで同じ刀が何本も顕現できる。(設定上は)本丸からの記憶を全員引き継がないとしたら全ての自分は御物まで同じ流れ。これは他の刀にも言えるけれど正直自分を見失う

・見てくれ(装い)だけが当時(秀吉による磨り上げの後)のまま、再刃でもう使われることもなく観賞用となった身体で焼け落ちた記憶が埋まらないまま本丸にいる現在。
刀剣破壊台詞で「還るんだな、あの炎の中へ」は彼の記憶が5月7日で途絶えていたのだ、自分はあの日に死んだのだと言う哀願だろうか……と言うところまで考えて、あまりの辛さにこんなほの暗い写真が量産されてしまった経緯をご報告します。
兄である前に彼は物であり、愛してくれた主人があった。記憶は多くない。

自分でも彼への解釈が諸説を含めると到底まとまりきらず未整理の御見苦しい解釈で申し訳ないが、秀吉の辞世の上の句を呟く一期一振も、自分の身の上の儚さを自覚しているのではないかと言う思いと、下の句を言わないのは夢を見ているような、と言うには鮮烈すぎる記憶だけを引きずる、見てくれだけが豪華絢爛な空っぽな自分を静観する冷めた面も持っているのではと思ってしまった。物腰の柔らかさ、人当たりのよさ。それはいつの一期一振なんだろう。

一期一振沼かな?辛すぎて腹に力が入らない。私のイチオシです。
一つの解釈として辿りついた気が触れた終着点ではあったものの、琥珀色とも蜂蜜色とも評される彼の優しい目の、兄たらんとある佇まいや本分を全うするチャンスを再び与えられたことに憂を感じていると言うわけではない、シャンとした立ち姿も大好きですので
ただ本丸で過ごす今の彼が人と同じように笑顔の多い刃生を歩めたらと祈るばかりの信者です。

愛情込めて作った衣装を最高の一期さんに着ていただけてこの上ない誉にございました。ちおさん本当にありがとう。
まさか着てもらう一回目で重機油と泥水に塗れるとは思ってもいなかったけれど雨が俺を狂わせた。油はきちんとお手入れしたら取れました。


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